それ行け!OLバックパッカー
何故、私は旅立ったのか。(シリアスバージョン)

旅立ちの朝

「えっ!?言ってなかったけ?今日から一人で・・・」

平成14年1月27日、タイ〜ベトナム〜マレーシアの旅へと出発するときの事である。リュックを担いだ私の姿を見て母がこう言った。
「お友達と行くんだよね――!?アンタ、まさか!」

そして、最初の私の返事に戻るのだ。



入社して約2年間勤めた会社を辞め、長い間憧れていた東南アジア一人旅に出ることにした。わたしのアジア好きは、もうかれこれ10年くらいになる。中学生の当時、通っていた中学校の試みでタイへ植林のボランティアを行いに行ったことがきっかけなのだが、あの当時、タイの民家へホームステイする事が、後の人生にどれだけ影響するかなど想像だにすることができなかった。

私たち中学生のボランティア活動を取材に来た地元紙記者の『きっと君達、人生観変わるよ』と言った意味が、10年後の今日になって身にしみて分った。

当時ホームステイしたお宅は、タイの東北部に位置するスリン県バンサワイ村の華僑の家だった。英語もたどたどしい中学生の私を快く迎えてくれ、ホームステイ先のお姉さん(当時20代)と同じベッドで夜は寝た。お母さんはちょっと太目のおおらかな人で、私が着くなり『ほらほら、そんな靴なんか脱いでこのサンダルに履き替えなさい。腕時計?そんなものいらないわよ。あなた、うちの子に似てるわ〜』とタイ式のもてなしを受けた。

私にとって、『時計の要らない生活』は快適だった。朝は鶏のけたたましい鳴き声で目がさめる。朝もやのかかる熱帯の森の小道に出ると、オレンジ色の袈裟を肩から斜めにかけた少年僧達がゆっくりと、整然と列を作って歩いて来る。托鉢だ。お母さんが炊き立てのご飯を用意してくれ、お坊さん達がやってくるのを待つのだが、なかなか家の前まで辿り付かない。それぞれのお宅の門前で立ち止まり、ご飯等を貰いながら歩いて来るからだ。
ようやく私の目の前に来たお坊さん達は、私と同じくらいの年齢だったと思う。私が滞在したお宅は華僑の商店を経営しているお家だったので裕福な家庭の部類に入っているのだと思うが、バンサワイのような貧しい農村地帯では、まだ学校に行けない子供・充分に着るもの・食べる物が無い子供がたくさんいた。学校へ行く制服が買えないので、毎日登校できない子もいた。一着しかない制服を兄弟で交代で着るからだ。
貧しい家庭の子供は幼い頃から出家をする場合が多いらしい。女性に触れない・不殺生・自給自足・・・等の制限は多いが、お坊さんになれば最低食べるものには困らずに済む。

しかし、そういった事実を目の当たりにしても私はタイが『貧しい』国だとはどうしても思えなかった。

ちょうど雨季で川が増水してしまい、仕方なく車を降り、はだしで茶色く濁った川を歩いて渡らなくてはならない場所があった。片手に脱いだ靴を持ち、よろよろしながら渡っていると、向こう岸から小さな子供がトコトコと歩み寄って来たかと思うと、おもむろに私の手を引いて一緒に川を渡ってくれたのだ。渡り終えた川岸で私は心から『コップン・カー』と両手を胸で会わせてお礼を言った。小さな少女は照れたように笑っていた。最初にタイへボランティアに行くことを知らされた時、子供の私は『貧しい国へ手助けに行ってあげる』というようなおごった気持ちがあったことを否定できない。しかし、色鮮やかな鳥・果物・花・・・を写し込んだような豊かな、優しい心を持ったタイの人たちのどこが貧しいのだ!!日本人の私は本当に『豊か』であると言い切れるのか?
私は衝撃を受けた。

タイ人は不潔だ、と思う人も多いだろう。しかし、1日に3度のアップナーム(水浴び)を好むこの人たちがどうして不潔なのだ?トイレも手動(桶で水を汲んで流す)水洗だし。水がめには雨水がためられており、蚊が多いのがすこーし気になるだけ。ボーフラが住める栄養たっぷりの水だと思えば何とも無い!

蚊といえば、タイの人はあまり虫に刺されないようだ。平和ボケして鈍感な日本人が刺されまくっているのを面白そうに見ながら、そっとタイガーバームを持ってきてくれたりした。空がオレンジがかり気持ちの良い風が吹く頃になると、家族は庭先のベンチに座り夕食時までゆっくりと過ごす。この時家のなかで蚊取り線香などを焚いて虫をいぶりだしているのだ。

日が暮れた庭先では食事の準備。私は紫色した小さな玉ねぎ(ニンニクのような匂いがした)を皮むきし、それをお母さんが石臼でたたいて潰す。お姉さんはキュウリのお化けのような(ズッキーニ?)物を大胆になべに入れ、スープを作っていた。当時リンゴの皮も剥けなかった私に、さぞ驚いただろう。
食事の準備が整い、みんなでテーブルを囲む。外ももうすっかり真っ暗だ。食卓にはお母さん、お兄さん、お姉さんが座り、急遽一番上のお姉さんも私に会いに来てくれた。辛い料理に閉口していると、『スウィート、スウィート』と一番上のお姉さんがコーンの炒め物を薦めてくれた。パクリ、と食べてみると『ペッツ、ペッツ(辛い)!!』超辛かった。そんなお茶目なお姉さんは夕食後、すぐに帰ってしまった。
食後はお母さん、お姉さんと一階で話をしたり、日本の歌を歌ったりして過ごした。木でできた椅子・テーブル・家具に囲まれてなんだか日本の古い映画に出てくるワンシーンのような、懐かしさを感じた。

帰国の朝。いつものように鶏の声の後、白いワイシャツとダークなパンツ姿で登校するティーン達のオートバイラッシュも終わると、村の静寂が戻ってくる。私はというと、朝一番にいきなり、こけてドロドロになってしまった。前日の雨のせいでぬかるんでいたのだ。泥のついたジャージ姿の私をみてお母さんは大笑い。でもその後大きなタライでチャッチャとジャージを洗ってくれた。
別れ際に写真を撮ろう、と言うとお母さんはいそいそと部屋の奥へ行ったかと思いきやお洒落な白地に花柄プリントのブラウスに着替え、白い花を持って出てきた。お母さんは私の髪に白い花を飾ってくれて、一緒に手をつないで写真を撮った。

絶対泣かないで、笑ってサヨナラしようと思った。またすぐに来れると思いたかった。乗り込んだワゴンの窓から見えるお母さん・お姉さんがどんどん小さくなっていく。でも、涙が出ないように頑張った。
違うホームステイ先にいた友人は、帰りの寝台列車のカーテンを閉め、朝がくるまで泣いていた。私も素直に、心の動くままに泣いておけばよかったと、ちょっと後悔した。
バンコクの屋台でクイッティオを食べながら私たちは『いつタイに帰ってこようか』と真剣に相談しあった。




初めて勤めた会社ではこの就職難の中、総合職として入社した。学生時代は音楽に没頭し、会社に入ることなど考えて無かったが、人生の節目として就職活動をするのもいいと思ったし、父の仕事も思うように行っていなかったこともあり、親に心配かけないで生きていきたいとも思った。

会社では手ごたえのある仕事ができた。素晴らしいお客様とたくさん出会えたし、同僚にも恵まれたと思う。しかし、私はここで何をしたいんだ?どうなりたいんだ?という疑問がいつも頭から消えなかった。人は食べるために働くのか、働くために生きるのか。深夜帰宅、通勤は約2時間、というハードな生活が続き、誰にも情けない姿を見せたくないというプレッシャーから解き放たれる家では一人、電気を消し、キャンドルだけを点したお風呂で泣いたこともあった。一人で渋谷を歩いていると、いても立ってもいられなくなり、仲の良い会社の先輩に電話した。駅から世田谷行きのバスに乗り、彼女の家で泣きながら不安を聞いてもらったこともあった。

ストレスがたまるといつも、下川裕治さんのバックパッカ―もののエッセイを読んだ。東横線で、京王線で、私は頭だけトリップしてしまっていた。また、大学のOBの沢木耕太郎さんの『深夜特急』にも憧れ、世田谷文学館で催された『沢木耕太郎の旅展』に行き、取材ノートや写真に見入ってしまった。
歌以外で私の人生を支えてくれるものは何だろう?いつまでも未練たらしく、後ろを振り返っていたくない。自分に自身を取り戻したい!

私に残されたものは『アジア』だった。それはただの現実逃避のための手段なのかもしれないが、目の前にはそれ以外無かったのだ。
一つの会社に転職を決めた。インドネシアからの輸入家具を扱う会社だ。そう決まったらさっさと辞意を表明し、新宿の格安チケットショップで『東京―クアラルンプール経由バンコク』の往復と、『バンコク―ホーチミン』往復を買った。
お世話になった会社の先輩に挨拶をしたり、仕事が忙しくてなかなか合えなかった大切な人たちと会い、無事の生還を約束した。

そんな時運悪く、父の仕事の整理が進まず、オロオロしながらも何やら手続をしたり調べ物をしたりと奔走した。生きていくうちには、自分の力の範囲を超えた部分で物事が勝手に進んでいってしまう場面があるのだ、と痛感した。家族には申し訳ないが、ただただ、早く日本を離れたかった。



母に一人で旅することを言ってあったつもりだったが、伝わっていなかったらしい。母は、遂に涙を浮かべ『行かないで』と私に言った。オイオイ、やめてくれよ。この日をどんな思いで待ちわびていたと思っているのか。
母を振り切って出発する。『アンタも親になったら分るよ』と冷たく妊娠中の姉に言い放たれ、唯一ソフトに接してくれている義兄に見送られて駅まで来た。しかし、今日は冷たい1月の嵐。電車は止まったまま動かない。これで飛行機に間に合うのか??
別れ際に兄が手渡してくれた傘を握り締め、『お兄ちゃん本当に色々ありがとう。お姉ちゃんわがまま言ってごめんね。お母さん、心配かけてごめんね。』と冷たい鼻先を拭った。
後>
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