それ行け!OLバックパッカー

帰国して、今。


2002年1月末〜2月中旬までの旅を形に残したいと思い、約10ヶ月をかけて『それ行け!OLバックパッカー』を書いてきた。当初は勤めていたアジアンショップのメールマガジンの一部として連載していた事をご存知かな方は、かなりレアな方だろう。
書き始めた時はこんなに時間がかかるとは思ってもいなかったし、自分のHPを運営し始めてからは想像以上の数の方に読んでいただく事ができ、本当に驚きだった。たまに更新が遅れたりもしたが、『楽しみに読んでいるよ』という暖かいお言葉に支えられて最後まで辿り着く事ができ、本当にお礼を言いたい気持ちである。日記を書いていると旅をしていた時を鮮明に思い出し、ワクワクしたりドキドキしたり2度楽しむ事ができた。その分、書き終えた時は再び旅を終わらせた気分で切なくなってしまったが・・・。

よくご質問いただくのは、『記憶だけでこんな詳細に書けるの?』ということだ。さすがにそんなに記憶力は良くないので、当時書いていた紙切れのメモを基に記憶を呼び起こしながら書いていた。これは、何月何日、何時ごろどこへいったか、誰と話したか、という簡素なもので、キーワードが書かれている。そのキーワードからまた芋ズル式(?)に連鎖反応をおこして記憶が蘇ってくるのだ。書きながら『あ、そういえばあんな事もあった、こんな事も・・・』と脳の奥のほうに埋もれていた記憶が呼び戻されてくる。こういう作業をしてみると、何も書き残さなかったらどんどん忘れていってしまうだけなんだなぁ、としみじみ考えてしまう。

『OL〜』を書こうと思ったきっかけは、沢木耕太郎氏の『深夜特急』だ。最初はTVで放送された大沢たかおさん主演のドラマを見て感動し、その後に原作本を読破した。沢木さんが私の大学のOBであった事も親近感を持った理由の一つでもある。
新卒で就職した会社に在籍していた頃、世田谷文学館で催された『沢木耕太郎の旅展』を見に行ったときはとても衝撃を受けた。私の読んだ『深夜特急』に登場する子供達、市場のオヤジ達の写真・値段交渉して買った品々・・・が展示されており、彼の足跡をリアリティを持って辿る事ができたのである。それとともに、柔らかな心を持っている若い時代に豊かな出会い・素晴らしい経験ができ、それを形あるモノとして残せた沢木さんがとても羨ましく思えた。
彼の旅ノートは普通の大学ノートで、各ページに日付けと正確な時間が書き込まれていた。「OOO到着。**を買う。」といった簡素な内容で、これが私のお手本となった訳である。

旅に出るまでの『私』は狭い価値観の中であくせく生きていたと思う。幼い頃から自分でやりたいと思った事は自力でやってきたし、またそういう自分に過剰な程の自信を持っていた。学生時代には生徒会長をやり、音楽活動でもライブを行ったりCDを作ったりした。そして、『人生経験のつもりで』始めた就職活動では名の知れた企業に内定をもらい、その傲慢度は計り知れないものだったかもしれない。
しかし父の事業が上手くいかなくなったり、新卒で就職した企業で『男女の違い』を痛感したりと、自分の手の届かない所で自分の道が変えられててしまう、自分の『思い通りに』ならないことがあるのだと衝撃を受けた。今までの自己の価値観が崩れ去り、自分の指針(価値基準)を見失ってしまったのだ。私は何をするために生まれてきたんだろう?毎日何のために働いているんだろう?私は社会に、誰かに必要とされているのだろうか?・・・・毎日毎日、そんな事を考えて地に足が着いていないような感覚になり、『私の存在意義を認めて欲しい』と必死になっていた。この頃の私はかなり荒れていたなぁ、と我ながら思う。

会社を辞めて旅に出た私は、本当にいろいろな事が分かりはじめた。(自分なりに)
井の中の蛙大海を知らず、では無いが、外から見て初めて見える事が沢山あった。日本から遠く離れた所でゆっくり地球儀を手にとって観察するような感じだ。
先ず感じた事は、日本(特に東京)はなんて時間の流れが速い所なのだろう、ということだ。学生時代には勉強勉強、最短で大学卒業を目指し、大学3年の内に深く検討する猶予も無いまま就職先を決めて、卒業後すぐに働き始める。働かざるもの食うべからず、蟻とキリギリスのキリギリスにはなるな。嫌な事でも弱音を吐かず我慢して、いつか報われる日が来るのを待つ、そう教育されてきたと思う。
反対に、滞在先のタイという国は通年暖かく緑が豊かで色とりどりの花に囲まれた、食料が豊富な国だ。『働かなくても食べられる』(大げさだが)国なのだ。国民性は全くそれを反映したようなもので、よく言えばおっとりして優しい、悪く言えば行き当たりばったりのルーズなイメージとえよう。でも、本来の人間の一生を送る時間の流れは、これ位ゆっくりでも悪くはないのではないか、と感じた。早くに目標やゴールを作り出して達成していくだけではなく、『自分にとっての目標は何だろう』『将来どんな人間になりたいのだろう、そのためには今、何をしていたらそこにつながっていくのだろうか』と、漠然とした目標などのイメージをより深く考えて自分なりの形に整えていく、そういう自分との対話をもっと大切にしなければいけないのではないかと思い始めた。

そして、私はなんて小さい人間で、私の力なんてほんの小さなものなのだ、と分かった。私が日本を離れていようがいまいが変わらずに世界は進んでいく・・・。自分の思い通りいかないのが当たり前で、周りの力にいかに支えれられて生きてきたか、『生かされてきたか』が分かった。今までの反省とともに感謝の気持ちが大きくなり、満たされた気持ちになってきたように思えた。旅先で出会った色々な国の人の考え方、生き方、教師であったり反面教師であったり様々だが、私にとってはそれも全て与えてもらった貴重な経験となった。

帰国後は諸事情のため茨城県に移り住み、田舎暮らしを始めた。私は生まれ育ったド田舎の伊豆が好きではなく、18才(大学進学のため)から親元を離れて一人暮らしを始めたので、田舎に暮らすのは6年ぶりくらいになる。都心の時間のペースからアジア時間に戻ってきた私にはとても居心地のよい場所となった。
暖かい休日にはベランダに続くの窓を開け話して遠くに筑波山を望み、窓際に置いたテーブルでブランチを取る・・・・そんなことを楽しんで暮らしている。ベランダにはプランターを置いてパクチー・バジルを栽培し、摘み取ってはタイ料理に使う。そして、カオサン食堂にいらっしゃるお客様とアジアについて話をしたり、HPを作ったり・・・。

今まで『私はこうあらねばならない』と自分で自分を抑圧していた何かがあり、それは『学歴』『勤め先』によって彩られていた。今となっては『一派遣社員』で以前より仕事上の責任もなく、学歴を楯にすることもない。今私にあるものは、社会的ステータスでもお金でもなく、『私』だけなのだ。だからこそ、本当の自分の声に耳を傾ける事ができるようになり、周りに対しても素直に、正直に気持ちを伝えることができるようになれたと思う。ここまで私に教育を与えてきてくれた親の苦労を考えると後ろめたい気持ちが拭えないが、人間として心が安定して、与えられた環境に感謝の念を持って過ごす事ができている自分の姿を見せる事で家族にも報いたいと思っている。

先日、学生時代の友人に『親に対して後ろめたい気持ちがあるって言ったけど、それがなくなるときがいまむぅの心が本当に”自由”になるときだね』と言われた。そんな日がいつ来るのか、または来ないのかは分からないが、そうなるように生きていきたいと思う。おぼろげながらに、アジアに関わりながら何か(例えば仕事とか)をしたいと考えているのが形になった時が、“自由”になる時かもしれない。

まだまだ人として成っていない所だらけだが、こんな私を支えてくれる全ての人が大好きで大切に思う。これからもできるだけ素直に、そして感謝を持って毎日をすごしていきたいと思っている。

そして、私に沢山のものを与えてくれた一人旅・アジアの国の素晴らしさをもっと沢山の人に伝えられたら嬉しいな、と思って止まないのだ。


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